デュッセルドルフそろばん教室の春期講習が始まりました。
今日は2日目。昨日が何もかもまったく初めて、という子が多かったのですが2日目にして子どもたちも随分変わってきました。
「黙想」の絶大な効果
ちょっと集中できてないかな、と言うときにも「黙想」の声でパッと切り替えができるようになりました。
特に小さな子の授業で大事なのはこの切り替え、場面転換の素早さ。
同じことを長い時間やっているとどうしてもダレしまいますが、テンポよくちょっと目先を変えて切り替えていくとノリがちがいます。
さて、この「黙想」。ちょとダレてきてるな、というときや話を聞いてほしいときの前など大事な場面で絶大な効果を発揮します。しかも子どもたちはこのシャキッとする感覚が大好き。喜んでやります。
思いっきり遊んだあとはなかなかモードを切り替えられませんよね。でも、「黙想」の一声で魔法のように一変します。
なるべく教えない先生がいい先生
でも、これ、ほとんど教えてません。教えないのになぜできるのでしょうか?
子どもたちは、できる子を真似して勝手にできるようになっていくのです。しかもあっという間に。
さて、いったいどんな風にしてそうなるのかというと・・・
最良の先生は誰だ?
一人か二人でも、クラスの中に黙想ができる子がいたら、いきなり何も言わずに「黙想!」
他の子は何のことかわからないできょろきょろ。でも、知ってる子はパッと黙想します。
「ああ、さすが〇〇くん、かっこいいねえ。背筋がピンと伸びてる。みんな見て見て!」
その言葉にその子も得意になってますますシャキッ。
すると、真似する子が出てきました。この間15秒か20秒くらいでしょうか?
「あっ!〇〇ちゃんもできた!かっこいいねえ」
と声をかけると次々に他の子も。全員ができるようになるのに1分くらいでしょうか。何にも説明してないのに。
意外と奥が深い、そろばん教室ならではの学び
このように子ども同士で学んでいく、これが可能なのは大きな子も小さな子も、進んでいる子も初めての子も同じ教室で指導するというそろばん教室のスタイルならではのメリットかもしれません。
そろばんの姿勢でも指使いでも、できる子にお手本をやってもらうのです。
誰か一人が難しくてなかなかできないときに、みんな集まって上手な子にその同じものをやって見せてもらうことがあります。
「△、これちょっとゆっくりやってみせてくれる?」と頼む場合はかなり進んでいて一目置かれているような子に頼みます。
みんながその子の周りに集まって真剣な表情で指先に注目してます。
悔しいかな、先生が見本見せてもここまでの真剣さを引き出すのは難しいのに!その子がやると何も言ってないのになんだこの素晴らしさは!ずるいぞ!と嫉妬を感じつつ(笑)
「もう一回お願い」
「もう一回!」
「じゃあ、〇〇、今のやってみよう」
みんなの前でチャレンジです。できなくても応援してくれるし、できたら拍手喝采。かなりの緊張感とそれを乗り越える嬉しさ。これは教室でしか体験できない特別なものかもしれません。
みんなの前でかっこよくできてほめられる気持ちよさ。先生になれる特別な瞬間。1対1のプライベートレッスンやオンラインレッスンにはないとっても大切なことがここには隠れています。しかも同学年の友達ばかりでないことに大きな意味があると考えています。
異年齢の子が一緒に学ぶことの素晴らしさ
大きな子が小さな子の前でかっこ悪いところは見せられないし、小さな子が大きな子にお手本を見せるという普通なかなかあり得ないことが当たり前に起こりえます。
こうした子供同士の学びは先生が教えるよりも遥かに深くよい学びとなることが多いのです。先生が教えるのは、先生でなければ教えられないときだけでよいのかもしれません。
年上の子が年下の子の面倒を普通に見る、年下の子はそうした経験を経て年上になり、面倒を見る側になる。これが小さな社会としてうまくまわっていくのを見るのはとても嬉しいものです。
お昼休みに公園にお弁当を持って出かけるときも、幼稚園の子は小学生のお兄さんお姉さんに手をつないでもらいます。小学生は小さな子の安全を守る責任を負うわけです。
こうしたことはもっともっと日常的に学校でも行われるようになると色々な問題が少しずつ解消されていくのではないかな、と思うこともあります。学力を最重要視する時代の空気とははずれているかもしれませんが、こういうことの価値をもっともっと知ってもらいたいと思っています。
約60名の子たちがそろばんに遊びにと楽しみに通ってくれています。
山片重信
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コミュニティWatashi