ASOBO!アルプススキー合宿 2018
日程:ロッジ宿泊 2018年12月21日~24日の3泊4日 4日間夢のアルプスで思いっきりスキー三昧。 雄大なアルプスの大自然のど真ん中のロッジに3泊。 場所:スチューバイ・タール氷河スキー場(オーストリア)

クリエイティブな子供たち4 教育の目的~福沢諭吉編

前回は新渡戸稲造の「教育の目的」を読んでみました。

今回は福沢諭吉です。福沢諭吉と言えば「学問のすすめ」

でも、実際に読んだことがある人は非常に少ないのではないでしょうか。

しかし、これはすべての人に必ず読んでもらいたい、まさに必読書です。

人の親であればなおさらのこと。子供に「なんで勉強しなきゃいけないの?」と問われることがあるでしょう。その問いに親として真剣に向き合うことが大切なのではないでしょうか。

原文はこちら。

学問のすすめ 福沢諭吉  青空文庫

17編からなる名文です。この名文が書かれた当時の情勢、時代背景も念頭に置きながら読み進めたいと思います。

長く続いた徳川幕府による封建支配、身分制度、
欧米列強の世界侵略、植民地化のすさまじい脅威、
明治維新による大転換を経てまさに日本が生まれ変わろうとする時代のエネルギー、気概に満ちています。

引用をはさみながら要約を試みます。

初編

冒頭知らぬものはない名文、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」だけで終わらずにそのあとの文章をじっくり味わって読みたいものです。

口語意訳でまとめてみます。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。

誰もが皆生まれながらにして貴かったり賤しかったりするのではない。

人間は、自らの身体と心(精神)を働かせてあらゆる活動を本来自由自在に行い、楽しく快適に暮らしていくことができるはずである。

ここで自由自在と言うのは、何をやっても良いという訳ではもちろんない。他を害さないことが大前提である。

それなのに世の中には賢い人、愚かな人、富める人、貧しい人、貴い人、卑しい人がいるのはいったいどういうことだろうか。それにはいたって明白な理由があります。

『実語教じつごきょう』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人げにんとなるなり。

賢人と愚人との違いは学んだか学ばなかったかによる。よく学んで物事の道理をよく知る者は貴人となり、何も学ばずにただ生きているだけのものは下働きしかできない。

しかし、ただ学問をすればよいと言っているのではありません。

諺ことわざにいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。

その人そのものが貴いのではなく、行いが貴いということです。
学問をすれば貴いのか、と言えばそうではありません。学問をするだけでは意味がない、そうして立派な行動をするから貴いのです。

されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。

実用の役に立たない学問ではなく、日用に役立つ実学を優先すべきであるとして次の例をあげています。

いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、
地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。
究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。
歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。
経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。
修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。

読み書きそろばん、簿記、天秤、地理、物理、歴史、経済、修身。

これらは人々皆が良く学び、たしなむべき心得で、この心得をもってそれぞれの生業にいそしみ、個人も家も国家も独立していくべきである、と続きます。

学問をするには分限を知ること肝要なり。

ただ自由自在とのみ唱えて分限ぶんげんを知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。

自由とわがままとの界(さかい)は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。

明治維新以降、「自由」という概念に光が当たりました。士農工商が廃止され、人間は生まれながらにして自由、平等だという原則が示され、天地がひっくり返ったようなものです。

百姓が医者になってもよい、政治家になっても良い、それまでの常識では、百姓が殿様になるなどあり得ないのですから、まったく考えられない変わりようです。

学問のすすめで福沢諭吉は、自由を前提に学問をし、自ら独立し、本分を尽くすことを高らかに提唱しています。ただし、その前提となる自由をはきちがえるとわがまま放蕩になると警告しています。今も昔も変わりません。

また自由独立のことは人の一身にあるのみならず、一国の上にもあることなり。

また、個人だけでなく国に対してもまったく同じことを求めています。

国と国の関係について

互いに相教え互いに相学び、恥ずることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸いを祈り、天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴(こくど)にも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄すてて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。

ことにこの時代、大変な国難を迎えていたからこそ国家は平等で互いに対等に交わること、互いにその幸せを祈ることアフリカの民族は当時欧米の奴隷にされていましたが、理のためには彼らを敬い、道のためには(理がない場合には)英米の強力な軍艦も恐れてはいけない、とすべて対等であるべきとしています。それが一方的に破られ、国が辱められるような場合には(アジア、アフリカのように侵略、植民地化されて民族まるごと奴隷になり、意のままにささいなことで虐殺されるという時代でしたから日本も非常に切迫した状況でした。)全国民が命を捨ててでも絶対に屈してはならない。それこそが自由独立というものである。

※時節柄、安保法案と関連付けてしまう方もいるかもしれないので念のため・・・
あくまで当時の情勢と福沢諭吉の言葉を紹介しているだけですのでまったく何の関係もありません。現在の日本の政治については、本当に根本から明らかにして考えないといけない状況で、学問のすすめにはそのこともかなり強調して触れている箇所がありますので後に紹介することになります。いえ、箇所ではなく根幹をなしていると考えることもできます。

王制一度ひとたび新たなりしより以来、わが日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、すでに平民へ苗字・乗馬を許せしがごときは開闢(かいびゃく)以来の一美事(びじ)、士農工商四民の位を一様にするの基(もとい)ここに定まりたりと言うべきなり。

明治維新によって起こった変化、人々の自由独立と平等を認めたことは史上初めての大変素晴らしいことである。当時の状況を想像してみてください。外には欧米列強の脅威、国家存亡の危機が迫っていましたが、自由と平等というそれまで想像すらできなかった素晴らしいものを手にした喜びと新しい世界をつくりあげていく希望に満ちた一文です。その目は日本国内のみならず世界全体、全人類の平和に向けられていました。

教育の目的」で福沢諭吉は次のように述べています。

教育の目的は、人生を発達して極度に導くにあり。

そのこれを導くは何のためにするやと尋ぬれば、人類をして至大の幸福を得せしめんがためなり。

その至大の幸福とは何ぞや。

ここに文字の義を細かに論ぜずして民間普通の語を用うれば、天下泰平・家内安全、すなわちこれなり。今この語の二字を取りて、かりにこれを平安の主義と名づく。

ここではずばり、教育の目的は人類の幸福すなわち平安のためである、と述べています。

福沢諭吉にとっては国家も人格を持った生き物だったのではないでしょうか。国家の独立は個人の独立なくしてはあり得ない。当時、欧米列強と屈辱的な不平等条約を結ばされ、圧倒的な物質文明の力に屈していた日本の状況ですから、日本自身が未だ独立国家とは到底言えない状態であるという認識だったことと思います。

それでもまだ日本はましな状態で、アジア各国、アフリカ、オーストラリア、南北アメリカを見渡すと欧米列強の植民地、奴隷となっていない国は片手で数えられるほどしかありませんでした。世界中で虐殺、暴虐の限りを尽くしていた帝国主義(それ以前からも、どこの国でも人間の歴史はいつも同じ繰り返しですが・・・)の恐ろしさは文字通り筆舌に尽くしがたいものでした。当時、白人にとって有色人種は人間ですらない存在でしたから日本も侵略、植民地化されるか皆殺しにあう危険が本当に目の前にあったのです。

日本は国家の独立を勝ち取るとともに、あのようなわがまま放蕩なふるまいを決してしてはいけない、という強い思いが福沢諭吉の心の中にあったはずです。

教育の目的」で次のように述べています。(口語意訳)

「物質的豊かさだけを求めて本当の精神の平安を知らないのは盗賊だけでなく現在の世界各国もまったく同じだ。
西洋諸国がアジア、アフリカ、アメリカ大陸、オーストラリアと世界中を侵略して土地を奪い、財産を奪い、植民地として自分たちのために他民族を奴隷にするなど、まさに盗賊そのものである。」
「世界各国の人民は自分さえよければ他人の不幸を顧みない。自分の国さえ栄えればよいだけで、他国の繁栄を思う心がない。これは国の教育が未発達なものと言ってよい。」

欧米列強は物質文明の面では追い付き追い越す見本であると同時に、自分さえよければ他国はどうなってもよいという利己主義の権化は徹底的に否定すべき強烈な反面教師でもあったのです。

そして独立がなければ自由がない、自由があるから独立できる、日本という国とそこに住む人々の状況がまさにぴったり重なって映っていたのかもしれません。

「独立」という言葉は学問のすすめの中に100回出てきます。

対して「学問」77回「自由」44回

学問のすすめにおいて「独立」は非常に大きなテーマとなっていると言ってよいでしょう。

やっと初編の半分まできました。まだまだ先がありますが、今回はひとまずここまでで失礼します。

ASOBO! 山片重信

デュッセルドルフを拠点に、大人もこどもも目が輝く遊びを求めて活動しています。
子供たちにスキーを始め色々な遊びの体験をしてもらうASOBO!を主宰。
元々は中学・高校受験の大手塾講師。現在も理数科目の指導を行っている。