受験と一口に言っても本当に色々です。
すべてをひとくくりにして単純に受験そのものを良い、悪いと判断することはできません。
ただ、全員が全員同じことをやらなければいけないような状況というのは非常に疑問を感じますし、
わけもわからず本来とは違う方向へひたすら頑張らせるというのは違うのではないかと思います。
受験のためだけの受験勉強、中間、期末のためだけの試験勉強をしているのであれば、それは弊害ばかりが大きく、賢くなるどころかその反対になってしまうのではないでしょうか。
私たちはともすると目先のことにとらわれがちだったり、周りの意見に流されたり、みんなやっているからうちも・・・となってしまいがちです。
目的と手段を取り違えてしまったりということも大変よくあることです。
何をするにもやはり、根本的に考える、ということが一番大切なのではないでしょうか。
安岡正篤氏による「思考の三原則」というものをご紹介します。
一、 目先に捉われず、出来るだけ長い目で見ること
二、 物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来れば全面的に見ること
三、 何事によらず枝葉末節に捉われず、根本的に考えること
以上を頭に置きながら考えてみませんか?
勉強は、何のために行うのでしょうか。
受験のため?
よい学校に入るため?
学歴?就職?
将来安定した職に就くため?
勉学はそのための道具なのでしょうか?
人によって意見が分かれるかもしれません。
そもそも学校に行く目的って何でしょう?
教育の目的って何でしょう?
答えは1つどころか数万通りあるかもしれません。
江戸時代の町の寺子屋、藩校、それぞれに目的がありました。
教育をする側と受ける側でも目的はちがいます。
明治以降の教育は明確に国家の意図、目的が反映されています。
日本は近代化のために西洋科学を取り入れ、勤勉で優秀な労働力、兵力を大量に必要としました。
戦後は・・・建て前と本音が色々あって話がややこしくなるので割愛します。
ここでは、教育を与える側ではなく、受ける側、しかも「(自分の)子供にとっての」という前置きを付けましょう。ただし親にとってではありませんよ。あくまで子供にとって、です。
「自分の子供にとっての学校に行く目的、教育を受ける目的、勉強をする本来の目的」は何だと思いますか?
もちろん1つではないはずです。(1つしかないとしたら寂し過ぎます・・・)
このことを本当に考えたことのある人は意外と少ないのではないでしょうか。
親として、
・目先に捉われず、出来るだけ長い目で、
・一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来れば全面的に、
・枝葉末節に捉われず、根本的に
ぜひ真剣に考えてみませんか。