「頑張る」「努力」

日本人は「頑張る」ことを美徳として大切にしますね。これは素晴らしいこと。

ドイツの学校では「頑張る」ことを強要しません。あっさり落第させるし、ついていけなくなったら学校を出ることにもなります。

どちらがよいとか悪いではなく、どちらにも理がある。

努力~王さんの場合

その道の一流になる人、何かを成し遂げる人は日々圧倒的な努力を積み重ねている。これができる時点ですでに飛び抜けている。

王貞治氏の名言があります。

努力は必ず報われる。報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは言えない

王さんほどの努力ができる人がいったいどれだけいるのか。この言葉の意味は深いです。

子役タレントの芦田愛菜さんは、父からこの言葉を教わり、座右の銘としているそうです。「何かをするときにはいつも、その言葉を忘れないように心がけています」とインタビューで語っています。そして2017年、都内の最難関中学に複数合格し、慶応中等部に進学を決めています。

努力~ホリエモンの場合

堀江貴文氏については人によって評価が大きく分かれます。正直、少し前までは僕も嫌いでした。でも、今ではある人を好きとか嫌いとかいった自分自身の狭い偏見、先入観で見てしまうのは非常にもったいないと思うようになりました。ニュートラルに彼のことを見るとやはりすごい人だなと圧倒されます。

横道それますが、『激論!AI時代の幸せな生き方とは?!』を以前に見て改めて思ったのは、ホリエモンが日々圧倒的な努力を積み重ねて普通の人の遥かに先を行っているから普通の人には理解されないのだということ。この討論、長すぎる割にまったく噛み合ってなくて、しかも田原さんが話を政治の方にそらしまくってて本当に聞きたいことを少ししか聞けないのが残念ですが(笑)、それでも十分面白い。長いのでせめてYouTubeの再生速度を2倍にして速聴トレーニングも兼ねて聞いてみてください。ホリエモンと落合陽一の2人が際立っていて、まるで二十年先の未来から来た人、それに対して今しか知らない人、いえ、今のことも知らない過去に生きている人たち(今のテクノロジーの進化にキャッチアップしていないという意味で)という印象です。牧野さんの話ももっと聞きたかった。

この中で一番印象に残ったのは、「モチベーション格差」。これについてはまた改めて。

ちなみに冒頭で親父とめっちゃけんかしたという落合陽一、お父さんはあの落合信彦です。

さて、ホリエモンは「努力」という言葉が好きではなかったそうです。

「僕は努力という言葉が嫌いなんですよ。周りはそんなの当たり前のようにしてると思ってたんですけど全くそんなことなくて」

やるのが当たり前のことにわざわざ「努力」と名前をつけてそれが素晴らしいとか意味わかんない、そういう感覚なんだと思います。でも、人から見たら圧倒的な努力を日々積み重ねている。

努力~イチローの場合

『僕は天才ではない。僕は、毎日自分がやるべきことを、やり続けているだけだ。』

イチローの言葉です。ホリエモンと共通している気がします。

やるべきことをやっているだけ、普通の人には努力と映ることが彼らにとっては当たり前、彼らにとって『努力』と言えるのはもっとさらに高い次元のことという感覚なのかもしれません。

こちらも面白いです。特に明石家さんまさん。

『努力は報われると思う人はダメですね。努力を努力だと思ってる人は大体間違い』 『好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。これが報われるんだと思うと良くない。こんだけ努力してるのになんで?ってなると腹が立つやろ』

勉強・恋愛・スポーツ・仕事、どんな領域でもたびたび見かけるキーワード 「努力」 これほどまでに、多くの方の人生に影響を与えてきた言葉はないでしょう。 幸せな人生を送るためには、 どんな形であれ、かならず「努力」との向き合い方を決める必要が出てきます。 ですが、自分に合った努力に対する答えを自分一人で導き出すには、人生は...

ドイツの学校では

日本ではできないものをできるようになることに大きな価値がおかれています。苦手の克服。

ドイツでは一般的に、苦手なものは向いてないから得意なものをやった方がいい。そんな感じ。先生も一所懸命できない子をなんとかしてできるようにしようとは思ってない。その子に向いていないものを無理やりやらせてもよいことはない。そういうスタンス。

インベスターZの1巻にこんなくだりがありました。

学年トップで入学し、野球部に入るというを説得する投資部の主将とのやりとり

「一流になれないものを目指してどうする。そんなの無駄な努力だよ。」

「一流になれなくても一生懸命頑張ることに価値があるんじゃないですか!」

「的外れなところで頑張ることに価値なんてない!」

「そんなもっともらしい一般論、堂々と吐いてるんじゃねえよ」

「的外れなところで頑張ることに価値なんてない!」

これは結構グサッときます。日本人は建前と本音がありますから、堂々とこんなことを言うとガンガン批判されちゃう。でも、本音ではそう思ってたりする。

なにせ竹槍訓練してた日本。本音をおさえて建前に従っていていいのか?

的外れな努力はむしろ害悪

少しこれまでの話と違いますが、的外れな努力、子供はたくさんしています。大人もしてますね。

  • 一所懸命、間違った漢字を何十回も練習して間違って覚える。
  • 楽器で間違ったリズムや音程で一所懸命練習して下手になる。
  • スポーツで間違ったフォームを繰り返し練習して下手になる。
  • 日本語発音で英語を一所懸命練習してジャパニーズイングリッシュの達人になる。

スズキメソードの創始者、鈴木鎮一先生が「下手になる練習」という言葉を残しています。

『報われない努力は努力とは言えない。』

これは、そもそも作業する前に考えてるか、工夫してるか、成果を出すことにつながる練習を本気で考えているか、それがない努力は努力とは言えないとも取れるように思います。

ふるい落としのシステム

ドイツの教育はふるい落としとよく言われます。そもそも勉学に向いていない子が無理して上級学校に行く必要はないからバンバン落とす。10歳で進路がある程度決まり、その後は職業訓練学校に進む道か大学へ進む道か。高校行っても最後に大学入学資格を取れないケースも多い。大学でも卒業できずに落ちていく人数は多数。

少年サッカーのシステムは聞くところによるとすさまじい。アバウトだけど、1つのチームは12-15人?で常にし烈な競争にさらされている。その中で子供たちはしのぎを削って自分の力で上達していく。クビになることもあるし、強いチームから引き抜かれることもある。12歳からは移籍金も発生する。プロと変わらない状況。逆に言えばサッカー好きな子は多いけれども日本の部活みたいに実際にマジでやるって子は少ない。日本の部活のような仕組みがないし。

こう書くと子供のころからすごい競争社会、という感じに聞こえるけど、学校では全然そういう感じはない。子供によるのかな。うちの子はまったく競争意識がない、頑張るということを知らない、という嘆きをよく聞きます。これは日本の親も同じことを言っていると思うので一概に比べられないかも。

これからのこと

今後、テクノロジーの発達によって大概のことは人間の手がいらなくなっていく。技術発展のスピードがとんでもなく速くなり、さらに加速し続けてる中、旧時代の人間ががんばって未来の人を教育しようということが分野によってはちぐはぐというか不可能になってくる。今後どんどん変わっていくんじゃないかな。そこで思いっきり的外れな努力をしちゃう可能性はすごくあり得る。

ITなんて教えられる先生は学校にはいない。今既に最も必要な分野になっているけれども学校教育ではとてもカバーできない現状。そこに行くと大学付属の学校とかやりようによってはすごい可能性がある。環境さえあれば、大学生がIT教えてあげればいいし、そもそも「ココ見て自分でやってみな」でほとんどのことができるはず。わからなかったら自分らで助けあえばできるよ、てな感じで。その方が教えるよりもずっといい。

紹介した動画の中で、教育なんていらないという暴論?!が出てくるけれどもものすごく重要なテーマだと思う。竹槍訓練を受けるような教育なら本当にいらない、というか有害。これは昔の話じゃなくて今の話として、本当に。

Hack-schooling—The-education-of-being-happy–Logan-LaPlante-at-TEDxUniversityofNevada

ローガン・ラプラント「ハック・スクーリング:ハッピーになるための教育」

なぜ学校では幸せや健康になることを教えないのでしょう。13歳のローガン・ラプラントは、自分が考えた「ハック・スクーリング」によって、重要かつ最も意義深い「幸せになる」という気持ちに子どもたちを導くことができると主張します。多くの大人は、子供は大きくなったら幸せになって当たり前と思いがちですが、それは違うとローガンは訴えます。幸せや健康になるというのは、何よりも優先されるべきことなのです。(字幕 Sumie Ichizaki、校正 Emi Kamiya) TED-ja.com